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にじいろちらしずし第1.5弾
第一部 映画『ジェンダー・マリアージュ』上映
第二部 座談会「日本の学校におけるLGBT問題」
8月11日(木)祝日!
午前の部 9時30分オープン、10時スタート
午後の部 13時30分オープン、14時スタート
場所 ウィルあいち 視聴覚ルーム
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参加費(会場費、資料費) 一般1,500円、学生1,000円
お申込み・お問い合わせ
rchirashi★merushika.com
(★を@に改めてください。)
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2013年06月07日

「既成概念をブッ壊す」ということ その2

 スミスpです。

 学生の皆さんが話し合って提示してきた「既成概念をブッ壊す」というテーマをめぐって、5月14日に劇の方向性をめぐるディスカッションをしました。その時の私の発言から、テーマ設定に関するものを抜き出して、補足も加えつつこのブログに短期連載しています。今回はその第2弾です。

第1弾はこちら


*       *       *


 この演劇プロジェクトは「ジェンダーやセクシャリティについて考える」というコンセプトを掲げていて、そのように宣伝もしつつあります。

 そうである以上、ジェンダーやセクシャリティについて、私たち以上に関心の高い人がおおぜい来るはずです。そういう人たちまで納得させられるものを作らなければ意味がありません。私たちがたやすく教えてあげられるような“簡単な人たち”が相手だなんて思ってはいけないのです。

 劇を見せることで観客に何かを教えるのではなく、劇を作ることを通して私たちが何かを学び取る。それができてこそ、観客に見せるに値する劇になるのです。ハードルを低く設定してはいけません。

 観客を十把一からげに「ジェンダーやセクシャリティに無知・鈍感な世間」に見立てるようなことは、何が何でも避けましょう。

 受け手を十把一からげに「こういう人たち」と決めつけて、何事かを一律かつ確実に教えようとするのは教科書的・政治的な言説のあり方です。もちろん教科書も政治も私たちの生活に必要なものではあります。

 しかし、芸術表現はそういう教科書的・政治的な言説空間を作るためにあるわけではありません。容易に一般化できない個別性特殊性の中に徹底して沈潜することで普遍に到達しようとするのが芸術表現なのです。

 芸術表現において最も重要なのは、表現するべき個別で特殊なものに対して、最もふさわしい形を与えることです。表現するべきことは、ふさわしい形を得てこそ本当に伝わります。相手に確実に教えようとして噛み砕くことによって、かえって伝わらなくなってしまうものが必ずあるのです。

 相手にわからせようとすればするほど、くどくなり、押し付けがましくなります。日常会話なら相手が「もういい、わかったから」と遮ってくれますが、舞台と客席に分かれた関係では、観客はただ「ああ、くどいなあ」と思いながら耐えるほかありません。

 「相手が確実にわかるように」と、懇切丁寧にわかりやすくすればするほど、“わかって当たり前”“わからない方が悪い”という状況を作ってしまいます。それでは、「わかることの感動」が伴いません。

 観客に対して懇切丁寧にわかりやすく演じたつもりで、かえって観客から考える楽しみやわかる感動を奪ってしまうなら、それは親切ではなく、お節介です。お節介からは感動も共感も生まれません。「わからせる」ではなく、「わかることを可能にする」くらいがちょうどいいのです。

 観客に「教える」とか「わからせる」という発想は、まず最初にブッ壊してしまいましょう。


posted by TACO at 00:23| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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