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にじいろちらしずし第1.5弾
第一部 映画『ジェンダー・マリアージュ』上映
第二部 座談会「日本の学校におけるLGBT問題」
8月11日(木)祝日!
午前の部 9時30分オープン、10時スタート
午後の部 13時30分オープン、14時スタート
場所 ウィルあいち 視聴覚ルーム
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参加費(会場費、資料費) 一般1,500円、学生1,000円
お申込み・お問い合わせ
rchirashi★merushika.com
(★を@に改めてください。)
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2013年06月06日

「ハジメテノウタ」を歌ってみた

 スミスpです。

 初音ミクが画期的な存在たり得たのは、性能の高さもさることながら、何よりキャラクターであることが最大の要因だ、なんてことは私がここで言うまでもなく、すでにいろんな人にいろんな所で言われてきたことでしょう。ボーカロイドという造語も効果的だった、なんてことも。

 初音ミクという名前とボーカロイドという新カテゴリー、そしてそのキャラクター・デザインによって、初音ミクは単なる「歌う道具」であることをはるかに超えた「人間と不即不離な何者か」になったのでした。

 初音ミクが歌う曲はもはや「無数」と言ってもよいほどの数ありますが、ボーカロイドであることに自己言及する曲が多いのが一つの特徴です。そのことと、性能では初音ミクを上回る後発の鏡音リン・レンや巡音ルカよりも根強い人気があることは大いに関係していると思います。

 初音ミクの歌声にはどこかたどたどしさがあります。人間にかなり近づいているんだけど、人間っぽくなりきれていないのです。

 これに対して、鏡音リン・レンや巡音ルカはさほどたどたどしく感じません。もう相当に人間に近づいたな、という感じがします。ただし、たどたどしくないけど、単になめらかなだけ、とも感じられてしまいます。

 例えば、低音域から高音域に移る時、人間なら善くも悪くも「エイッ」って感じがあります。上手な歌い手ほど「エイッ」を小さくできるのでしょうが、ゼロにはなりません。それがまあ、善くも悪くも人間臭いのです。

 鏡音リン・レンや巡音ルカにはそれがありません。ただもう、なめらかなのです。だから、歌声は人間とほとんど変わらずなめらかなのに、なめらか過ぎて不自然に聞こえてしまうのです。それゆえに「人間の巧妙な似せもの=偽物」と思えてしまう。

 初音ミクの微妙にたどたどしい歌声は人間ほどのなめらかさがないゆえに、「ものすごく頑張っている、いじらしい機械」と思えるのです。言い換えれば、基本的な部分に不自然さがあるゆえに「人間の似せもの=偽物」とは思えないのです。

 初音ミクはその微妙なたどたどしさゆえに「似せもの=偽物」ではない希有な存在と認められ、他の高性能なボーカロイドよりも愛され、そして自分がボーカロイドであることを繰り返し歌うことになったのです。

 初音ミクの代表曲と言うべき「みくみくにしてあげる【してやんよ】」がすでにそうでしたが、そのアップグレード・バージョン「みんなみくみくにしてあげる」になると、ボーカロイドであることがかなりせつなく歌われることになります。



 「あなたの歌姫」「恋スルVOC@LOID」「私の時間」もいいですね。ボーカロイド・フォビアと正面から向き合う(笑)「アンチボーカロイド」も快作です。



 さて、5月28日の練習で「情熱の薔薇」に続けて初音ミクの「ハジメテノウタ」を歌ってみました。

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 初音ミクが自分がボーカロイドであることを歌う曲の中でも、内容の深さにおいて最高峰だろうと私は思っています。

 ボーカロイドの眼差しから人間に向かって「ハジメテ」や「ワクワク」について問いかけるというコンセプトの曲です。ボーカロイドは人間から与えられる範囲でしか世界を知らない、それゆえ人間というものもよく知らない、という前提がとても効果的に機能しています。



初めての音は なんでしたか?

 という問いかけで始まり、同様の問いが何度も繰り返されます。

 よく考えてみれば、私たち人間が初めて耳にする音は(先天性のろう者を除けば)母親の胎内で聞く心臓の鼓動や血流の音です。人間は「初めての音」を共有していることを、私たちはボーカロイドの透明な眼差しによって改めて気づかされることになります。

初めての言葉は なんでしたか?

という問いにも同様のことが言えそうです。現代の日本人の場合、初めて口にする言葉はたいてい「ママ」か「まんま」でしょう。母と飯の意外な共通性!(笑)いや、意外ってほどでもないかな?しかし、この共通性が、英語が日本語に吸収されることによってあぶり出されたのは面白いことです。

 このようにして、この歌は私たちが当たり前のこととして普段意識もしないでいるような自他の共通性を意識化させます。そして、そのような意識化を促す無垢な存在としてボーカロイドの特異性が浮かび上がってもくるわけです。

ワタシは言葉って 言えない だから こうしてうたっています

というフレーズは、使用者から与えられる言葉しか口にできないボーカロイドの宿命をせつなく歌っています。

空の色も 風のにおいも 海の深さも あなたの声も 
  ワタシは知らない だけど歌を 歌をうたう ただ声をあげて

時の流れも 傷の痛みも 愛の深さも あなたの声も 
  ワタシは知らない だけど歌は 歌はうたえるわ だからきいて 

 ボーカロイドは自分の声しか知らない。使用者の声を聞くこともない。ソフトウェアである以上当然のことなのですが、人間の形を与えられたボーカロイドが自分のこととして歌うと、何だかとてもせつないことのように聞こえるのです。ここでの人間とボーカロイドの関係は、一神教における神と人間の関係にも酷似します。

知らない曲とか 街の音に ワクワクしてますか?

 知らない曲はともかく、街の音にワクワクすることは普段ほとんどないでしょう。自分の声しか知らないボーカロイドならではの問いかけです。私たちが音が聞こえることを当たり前としか思っていない。だから、日常の音にときめいたりしないのです。でも、音を聞くことのできない存在からすれば、音が聞こえること自体ものすごいことなのです。ここでも、私たちの「当たり前」が揺さぶられ、ボーカロイドの無垢さが浮かび上がります。

やがて日が過ぎ 年が過ぎ 世界が 色あせても
  あなたがくれる 灯りさえあれば
  いつでも ワタシはうたうから

 「あなたがくれる灯り」というのは、使用者がPCの電源を入れて初音ミクを起動することです。ボーカロイドが使用者に完全に従属する存在であることがせつなく歌われているわけです。人間の形を与えられたボーカロイドが自分のこととして歌うからこそのせつなさです。

 ちなみに、初音ミクよりも後に男性ボーカロイドも発売されますが、今の所あまり人気はないようです。かつ、ほとんどのボーカロイドはやはり女性キャラです。ジェンダー論的にも興味深い現象でしょう。

言えずにしまったり 言わなかった 言葉は 少しさみしそう

 ここでは、初音ミクはボーカロイドとしての限界を超えています。使用者が入力した言葉を歌うことしかできないボーカロイドに「言えずにしまったり言わなかった言葉」が存在することなど、わかるはずはないからです。ただし、言葉を言えずにしまった経験は人間なら誰しもあることでしょう。人間にとっては当たり前だけど、ボーカロイドには不可能。そういうパラドクスがあるからこそ、この歌のこのフレーズは尋常でない深みを持つことになるのです。

 そして、この歌の主要なモチーフの一つが「時間経過と変化」です。

なにかあなたに 届くのなら 何度でも 何度だって 
 かわらないわ あの時のまま ハジメテノオトのまま

もしもあなたが 望むのなら 何度でも 何度だって 
  かわらないわ あのときのまま ハジメテノオトのまま

 うがったことを言えば、ボーカロイドは「かわらない」のではなく、「かわれない」のです。人間に入力されたデータは人間が書き換えない限りそのままです。自分の意志で変われない、自分の力で成長できないということは、人間の世界では決定的な不自由と見なされます。しかし、それが「当たり前」であるボーカロイドにとっては永遠性・不朽性そして忠実性を意味するわけです。

やがて日が過ぎ 年が過ぎ 古い荷物も ふえて 
  あなたが かわっても 失くしたくないものは 
  ワタシに あずけてね

 人は時とともに変わっていく。そうなれないのは不自由だけど、そうなってしまうのはどこか悲しい。その悲しみをボーカロイドは救ってくれる。使用者個人の力では守り切れない大切なものを、ボーカロイドは守ってくれる。人間に完全に従属する存在でありながら、忠実さに徹することで、人間を超えてしまう可能性が示されているとも読めます。ボーカロイドとその接続先であるSNSは人間に代わって“永遠”を実現するかもしれませんから。

 そして、この歌はこう結ばれます。

初めての音に なれましたか? あなたの 初めての音に
  世界のどこでも ワタシはうたう それぞれの ハジメテノオトを

 ボーカロイドの歌声が人間の「初めての音」になれることはまずありません。上述のように、人間の「初めての音」は母胎の音だからです。ボーカロイドの願いは決してかなうことがないのです。そして、ボーカロイドはそれを知ることすらできないのです。あまりにせつないですね。ボーカロイドのこの「無自覚な悲哀」に直面することで、私たちは自分が人間として生まれてきたことの根源を見つめることになるわけです。

 しかし、ボーカロイドは決して悲しいだけの従属者ではありません。ボーカロイドは使用者の所有物であると同時に、「世界のどこでも」存在する汎神論的な神でもあるからです。使用者との関係で見れば、使用者が神なのですが、ボーカロイドとしての存在様態を見れば、ボーカロイドこそ神なのです。

 このことはTACOのブログに詳しく書きましたので、よろしければ、そちらもご覧ください。
 http://skytoys.seesaa.net/article/365339431.html

posted by TACO at 00:45| Comment(0) | 練習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする