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にじいろちらしずし第1.5弾
第一部 映画『ジェンダー・マリアージュ』上映
第二部 座談会「日本の学校におけるLGBT問題」
8月11日(木)祝日!
午前の部 9時30分オープン、10時スタート
午後の部 13時30分オープン、14時スタート
場所 ウィルあいち 視聴覚ルーム
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参加費(会場費、資料費) 一般1,500円、学生1,000円
お申込み・お問い合わせ
rchirashi★merushika.com
(★を@に改めてください。)
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2013年06月04日

「既成概念をブッ壊す」ということ その1

 スミスpです。

 今ははや「旧聞に属す」と形容しなければならないくらい時間が経ってしまいましたが、5月14日に劇の方向性をめぐるディスカッションをしました。その時の私の発言から、テーマ設定に関するものを抜き出して、少し補足したものを以下に記します。

 長くなりますので、5回に分けて掲載することにします。

*       *       *


 もともと私からのリクエストは「ジェンダーとセクシャリティのどちらに重点を置くかくらいは決めないか?」というもの、つまり、題材をある程度の範囲に限定しようということでした。それに対して学生の皆さんが集約した結論は、テーマを「既成概念をブッ壊す」にするというものでした。

 そもそも私の説明が決定的に不十分だったのだと思います。この件に限らず、このプロジェクトで私は「とりあえず振る。そして反応を見て説明を追加する」というパターンを何度も踏んでいます。どのくらい説明すると自分の意図する所が伝わるのか、いまだ見極められずにいるのです。

 この件に関しては、要するに「題材をある程度の範囲に限定すること」を意図しているのだ、ということをもっと明確に提示するべきでした・・・

 さて、私の説明不足は否めないものの、いずれにせよ、テーマを「既成概念をブッ壊す」にするというのは、題材の範囲を無限に拡大するものですから、リクエストに対しては正反対の回答になってしまっています。既成概念はジェンダーやセクシャリティに限らず何にでもあるものですから。

 しかも、私たちがこのプロジェクトで作ろうとしているのは、ジェンダーやセクシャリティについて考える演劇です。「ジェンダーやセクシャリティについて考える」と言う場合、性別についての既成概念を強化する方向で考えるのでないことは、言わば「暗黙の了解」でしょう。「ジェンダーやセクシャリティについて考える演劇を作る」ということの中に、性別についての既成概念をとことん疑うということは当然含まれているのです。テーマを「既成概念をブッ壊す」にするというのは、当然の前提を確認しているに過ぎません。

 もちろんジェンダーとセクシャリティは実態として分離困難です。ジェンダーの話にもセクシャリティがついて回るし、セクシャリティの話にもジェンダーがついて回る。どちらかを切り捨てるなんてことはできっこありません。それを承知の上で私が「ジェンダーとセクシャリティのどちらに重点を置くかくらいは決めないか?」と呼びかけたのには、相応の理由があります。

 論文を書く場合にたとえると、主たる論及範囲を例えば「大正文学におけるジェンダー観」くらいまで限定しなければ、書き上げることはできません。何かを具体的に述べたり表現したりするというのはそういうものです。範囲が広すぎれば収拾がつかなくなります。

 例えば、椿姫彩菜『わたし、男子校出身です。』の叙述はおおむね身体の性別(セクシャリティ)に強い違和感があるということに焦点が当てられ、“身体の性別に強い違和感がある。だから、身体の性別に適合的なふるまいを求められること(ジェンダー規範)にも違和感を抱く”というふうに、叙述における主たる要素と従たる要素の関係が明確になっています。それは書き手の視点が定まっているということでもあります。書き手の視点が定まっているから、読みやすく、実際この本はよく読まれたのです。

 反対に、書き手の視点が定まらず、叙述の重点がどこにあるか判然としないと、受け手にとって、どう受け取って良いかわからない、支離滅裂なものになってしまいます。

*       *       *


 とまあ、このようなことを語りました。何をなぜ懸念するかということは明確に示したつもりですが、では、その対策は?

 今はともかく参加者一人一人から引き出せるものをとことん引き出すことに徹しています。やまみさんが参加者との個別面談を始めてくれましたし、私から課題を出して考えてもらったり、ネタ帳をつけてもらったりしています。集団として意志決定するのはいったん「おあずけ」にして、めいめいで掘り下げられるだけ掘り下げてもらおうというわけです。

 何かを表現するためには、それにふさわしい具体的なモチーフが必要なわけで、コンセプトより先にまずモチーフを集めてみる。そして、集まったモチーフから、それらを包摂することのできるコンセプトを見つけるというのが、現実的な行き方だろうと方針を転換したわけです。

 一人一人から出てくるものは今着々と出てきています。問題はこうして出てくる多様なモチーフ、多様な物語をいかにして一つの劇として構成するかです。出てくるものが出揃った時が、私を含むぶぶち(舞台表現ブレイン・チームの略)の腕の見せ所です。

 乞うご期待!と、とりあえず書いておきます。


posted by TACO at 02:50| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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